take.11 : 何を食べるかではなく誰と行くかで決まると わたしは信じているよ
多くの皆さんはわたしにとっては 知り合い という対象であり、それはあなたからしてもそうだとおもう。友達とか親友とかそんなくくりにしてしまうのは 息苦しい気がしてしまって、だってその定義は相互フォローが必要だけど確認する手段もないし人の心なんてのは気付いたら変わってるもんさ…フン。ということで、たいていを 知り合い としている。
わたしにはひとり幼馴染がいて 6歳からの仲で 家族ぐるみの仲良しさんがいる。ひとり。女の子。高校は離れてしまったけれど、いっしょに夢の国に行ったし、このあいだもラーメン食いに行ったわ🍜
たしかにこのひとは 知り合いを超えた仲だけど、友達というか もう家族みたい。だから知り合いでも友達でもない。ただし付き合うことはない。そんなかんじ。
きょうはバレンタインデーでしたね。チョコあげたの?作ったの?貰ったの?いいね〜!甘いものって美味しいから好きよ。
でも。貰い物って、誰から貰ったかで価値がアホみたいに変わるよね。
高めのウィスキーボンボンのチョコを貰ったら、まあ嬉しい。でもくれたのが、そうだねえ…ブスな先輩だったとしよう。食べるよもちろん。でもお返しはしないかなあ。利用させてもらいますお世話様ですってかんじ。
すきなひとからもらったら、例えチロルチョコでも嬉しいわね。飛び跳ねるくらい!こんなんだから、基本的に手作りは全処分よ。まずね、吹奏楽部の義理チョコ制度って要らないから。あんな汚ねえブス共からもらってさ 食べるの?手作りだよ?菌入ってるかもよ?手洗ってるか分かるの?くらいの疑い深さで、ありがたく捨てる。もっと頭おかしいのは、この義理チョコを、「おれこんなにもらったんだ〜」ステータスにする男ね。たいていブサイクに多い傾向にあります。死ね。そしてこれを語る男はクズしかいません。なぜか?アピるタイプだからです。自己顕示欲の塊、死ね。鏡見ろ。芋だろ。
何が言いたいか。つまり、
誰がくれたかで、わたしがありがたく食べるか、ありがたく捨てるか、同じものでも変わるということ。そこには外見の美醜よりも、関係性が理由になることは容易にわかる。幼馴染からもらったらたべる、でもよく知らない後ろの席のひとからもらったら捨てる、ということ。
ごはんなんてもっと考えられない!!!学校は強制的に顔を合わせるから、まあね。刑務所的な。でも!脱獄してまで会いたいか?嫌だろ。オフ日に会いたいやつなんて、ほとんどいない!まして二人でごはん?いや三人でもやだ。料理が、おしゃれなバルじゃなくていいよ、大衆居酒屋でもいいから、好きな人と行けばいいよ。脱獄したなら自由に生きよう。
勘違いしているブスよ。
まずは鏡を見るべし。目が小さい・胸がない・鼻が低い・太ももがちょうどいい感じに太くない・遠目に見てもうつくしくない 二つ以上該当者は、わたしの連絡先を削除せよ。ブロックでも可だ。友人関係も無理。そしてこれらの該当者で「あたしってさ…、もしかして、好かれてんのかな…?」とかなんとか言ってる奴が、いたのよーーーーーー!!!死ねまず死ね。
必要最小限の会話はします。必要ならね。
それ以上は絶対にしない。なので、逆にわたしから連絡が来る皆さんは…特に男子は…、そこそこのビジュアルだとわたしが認めたということです。女子の場合は、そこそこそこそこのビジュアルです。女子に至っては胸があれば多少はぼやかして美女として見ていますので。
でも、脱獄した後にも声をかけるかどうかは、本当に好きじゃなきゃできないね。わたしはね。
他の人はほら、社交辞令の実践も上手いからね(皮肉)。