take.5 : 忠告とは、つまり
余計なお世話である。だまれ。てめえに関係ねえ。失せろゴミ。死ね、くらいのもんである。時として。そもそも私たちは他人の人生軸に口を出す権利はない。これを認めると、首切り天国になってしまうので、がちもんの末法思想になってしまうよね。そういえば倫理の点数が良かったけれど、現社よりも点数は取れる気がするわ。覚えるだけだから。
ありがとう(あなたのお陰でたすかったわ)
ありがとう(と言っておけば黙ってくれるかしら)
を、使い分けて生きる、ことに疲れたものたちは、常識知らずとして詰られるのだろうか。もしもそうだとしたら、まるで他人の下事情を、世紀末の大事変の様に取り上げるマスゴミと同じほど、低俗なものだ。小室哲哉に謝るべし。
わたしは誰の指図も受けない。誰かの指針に乗ることはしない。なぜなら、それは責任を誰にするべきか迷うからだ。そんなことなら自殺する用意をして、殺すべし。本当に憎い奴ーーたとえば、わたしの好きなものやひとを、破壊した人間ーーには、わたしは容赦しない。今までもそうしてきたように、倍にして返す。極めて陰湿に仕返しをする。男も女も関係なく、わたしかわたしでないか、ただそれだけだ。
なんてつまらないことに拘ってきたのか、と呆れるときがある。でもその瞬間は、きっと何よりも守りたかったものだったはずだ。その責任は、わたしがとる。
責任を取れないことはするな。未成年とか関係ない。成人であっても関係ない。死ねばいい、そのくらいの覚悟をもつべきだ。殺すことは簡単にできる、破壊することも。その権利は、きっと自分に対してしかもたないのに。
救い切れないカス共は、舌噛んで死ね👅