まっぴー!!!

夢を叶えるまでの過程を、自分日記としてかきなぐります.

take.5 : 忠告とは、つまり

余計なお世話である。だまれ。てめえに関係ねえ。失せろゴミ。死ね、くらいのもんである。時として。そもそも私たちは他人の人生軸に口を出す権利はない。これを認めると、首切り天国になってしまうので、がちもんの末法思想になってしまうよね。そういえば倫理の点数が良かったけれど、現社よりも点数は取れる気がするわ。覚えるだけだから。

 

ありがとう(あなたのお陰でたすかったわ)

ありがとう(と言っておけば黙ってくれるかしら)

を、使い分けて生きる、ことに疲れたものたちは、常識知らずとして詰られるのだろうか。もしもそうだとしたら、まるで他人の下事情を、世紀末の大事変の様に取り上げるマスゴミと同じほど、低俗なものだ。小室哲哉に謝るべし。

 

わたしは誰の指図も受けない。誰かの指針に乗ることはしない。なぜなら、それは責任を誰にするべきか迷うからだ。そんなことなら自殺する用意をして、殺すべし。本当に憎い奴ーーたとえば、わたしの好きなものやひとを、破壊した人間ーーには、わたしは容赦しない。今までもそうしてきたように、倍にして返す。極めて陰湿に仕返しをする。男も女も関係なく、わたしかわたしでないか、ただそれだけだ。

 

なんてつまらないことに拘ってきたのか、と呆れるときがある。でもその瞬間は、きっと何よりも守りたかったものだったはずだ。その責任は、わたしがとる。

 

責任を取れないことはするな。未成年とか関係ない。成人であっても関係ない。死ねばいい、そのくらいの覚悟をもつべきだ。殺すことは簡単にできる、破壊することも。その権利は、きっと自分に対してしかもたないのに。

 

救い切れないカス共は、舌噛んで死ね👅

take.4 : やっぱりやっぱりやっぱり!

だねー!と言うことを予想して、いまを生きる。

 

たなぼたな状況は、わたしの人生に実に多かった。ほとんどのラッキーとは、そういうものなのでは?とも思うが、つまりは予想もしなかったことが降りかかってくるということが、おおきな転機になることは否めない。

 

やるからにはもちろんありがたいことで、飛行機のっちゃうわけで、いやもう全力でいきます。が、しかし。敢えてもともと浪人するつもりやったんねん!という気楽さをもちつつ、のびのびー!プレゼンテーションをば。ひひ。

まさか民謡歌っちゃったりはしないよね?でも印象派にはなれるよ。ゴッホばりの(笑)まさかamazonで菅笠買っちゃったりしてないよね?問いかけるひととポチるひとは同一人物にはとても思えないのだが。

 

いやなひとと敢えて接触する必要はないよ。いやなら逃げればいい。それだけのことだ。

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『嫌いな人がいたら、好きになるところまで離れればいいのよ。』

 

『この世にはわかりあえない人がいるじゃない?どうやったって。逆立ちしたってだめな人。』

 

『でもその人も死ぬでしょ?同じように、怒ったり泣いたり、人を好きになったりして、死ぬでしょ?そう思うと、許そうと思ったり、嫌えなかったりするでしょ。それって、遠くから見てることになるの。青い空の上から見てるみたいに。光や雲がきれいだと、その人もきれいに見えて、風がいい感じだと、許すでしょ?まあまあ好きに思えるでしょ?』

 

『むかでとか、大嫌いでもどアップで見るより、1メートル離れたら少しいいでしょ?2メートル離れたらもっといいでしょ?見えないとこまで離れても、むかでがいることは忘れないでしょ?でも、うんとましでしょ?』

 

『離れるしかないの。問題は、心の中に入ってきてしまった場合。でもできれば入れないで、距離をとるのがいいの。本当だよ。』

 

ハチ公の最後の恋人に、わたしも従うことにしよう。

 

 

take.3 : ブスとバスの違い

BUSとかいて読めるもの、英単語のしてバス、あとはときどき小学生がふざけるブス読み!!!…これ実は深いんでないかい。

 

ワタシは自分が猛烈にイケメンでそれを自覚しているかのようなキャラを演出しつつ実は結構この顔が嫌だったりする。あの、iPhoneのカメラがインカメだったときの、顔ね!山崎ケイちゃんが言ってたけど、あれが真の姿なんだって。鏡は意識的に顔作ってますから、真の姿は、アレです。

https://youtu.be/EEVI5gVjD7U

 

役に立つものとしてバスを挙げるならば、役に立たないものがブス?ここにアンビバレンスな関係は成り立つのか?いや、そんなことはない。役に立たないバスも多い。とゆーかむしろ、バスは役に立たない場合が多い気がするけど。

時間守らないバス、遅れてもなにも言わないバス、急発進するバス、金もらってシカトのバス!!!!!滅亡しろ。死ぬがいい。

この役に立たないバスは、つまり、ごめんとありがとうが言えない方達です。こんなバスになるくらいなら、ごめんとありがとうが言えるブスで、ワタシは在りたいと思う。

さらに、それが出来たブスは、もうブスではない気がします。

 

ひととして当たり前のことが出来るようになれ!と、言う人いますね。はーーーー?????それってなに?そんなアホ教師の言うことは聞かなくていい。抽象的な概念でものを喋って、実際に具現化されたものを見てあだこだ批判するようなクソ人間はね、脳内ブロックしろ、まっぴー。気にすんな、まっぴー。お前のなりたい先生は、そんな、使えない、役に立たないバスではなく、役に立つブスのはずや。役に立つブスであるならば、しっかり説明する必要がある。中学生だから分かって当たり前、はぁ?それ誰基準?てかお前何歳?中学生?ちゃうよね、じゃあお前の当たり前は俺には関係ねえよ!とゆー生徒諸君の心の声を、予測できるのが役に立つブス…まっぴーのなりたい教師像である。考えることは、食べることと同じくらいに尊いものであると考えます。これを失った瞬間、ひとはブタと同じです。考えることを本当に尊ぶならば、先駆けとなるステップを掲示するべき。それをサボっていい事言ったふうにするのはね、自己満足の教師ですよ。たまにいる嫌われるのが嫌だから言えない上司と同じ。カッッッス!無能。お前の役割は何?

 

役に立つブスは、ひとのためになにかができること。役に立たないバスは、じぶんのためにしかできないこと。顔なんていじれますからね。余裕で。中身は厳しい。ブス極めよう。バスにはなるな。

 

 

 

 

 

take.2 : あたらしいノート

ほど、魅力的なものはない気がする。とくにワタシは、これにやられる。いつも。というのは、美しく書き上げることに情熱を燃やしすぎてしまうことに。

ずっと習ってきた書道のおかげで、おそらく世間一般の小4男子の字!よりは形のできた字を書いてきた。それは中学高校に上がってもまあ変わらず、いまもそこそこの字だと自負している。これは履歴書やら願書やらでまあ役に立ったから、自分の長所だな。

 

ところがそれは、ノートにも顔を見せたがる。つまり、美しく美しく書きたがる、ワタシのなかのなにかがいるのだ。ゆえに、たまにはウダウダしてる日も疲れてる日もあり、ノートがちらちら雑な時もある。そんなページが出来てごらんよ、あっちゅーまに、そのノートにやる気をなくす。というのを繰り返すので、ノート消費量が勿体なく、少しでも経費削減…と無印良品の210円5冊パックに最近変えた。無印のコスパってすごいよね。

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東大生のノートは美しいうんちゃらかんちゃら、の本を読んでいる。字はクソ汚ねえが、たしかに整理されている、まさに整然!これかぁ〜〜!!!ということで、これを目標にする。

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ちなみに友人がやっていたボールペンノートは効果的である。これすきや。あと、色使いすぎるひとっているよね。アホに多い。

take.1 : わたしについて

詳細は自己紹介を読んでほしいのだが、つまりは浪人生だ。センター試験の点数が、なかなかきびーかった!!これは、現代文のキュウリメンヘラおばさんや宇宙人の日記のせいでもなく、高校三年生の過ごし方の甘さ故、である。

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わたしは中学から高校まで吹奏楽部だった。中学時代の顧問が超☆独特で、味のあるひとで、そのひとに吹奏楽の楽しさと辛さを教わる。と同時に、今後の人生においても指針となるであろう指導をされつつ、高校は吹奏楽がそこそこ有名なところに進む。言い訳にするつもりはないが、まあ毎日練習だった、夜まで。定期考査はもちろんあったが、直前暗記が得意だったのを活かし、考査中の4日間完徹の丸暗記で挑み、7割得点をkeepして乗り切る。とゆーよーなことを繰り返して引退の11月、からの必死に足掻いてみた半年だったが、まあ結果は振るわなかったということだ。そして浪人生としての一年スタート宣告を受ける。

 

わたしは吹奏楽指導者として、教師として、高校生と一緒に時間を過ごしたいという夢をもっている。得意ではないかもしれないがひとに教えることは好きだし、接することも好きだし、なによりも青春☆を見るのが好きだ。部活で熱くなってる奴らを見るのも好きだし、恋愛に振り回されている奴らを応援するのも好きだし、自分がするのも好きだったし、どうしようもない不条理な状況におかれてもがいているのを励ますのも、まあ好きだった。これから80まで生きたとしても、この高校生活は一生帰ってこない。30歳でできた京都旅行を60歳で再現することは可能だ。コース回ればいいから。おなじコースだったとしても、17歳の頃、あの考え方と自我を持っていた(もしかしたら持っていなかった)ときの京都旅行は、再現不可能だ。そんな人生の一瞬を、見ていきたいと思った。さらに高校生の吹奏楽ほど熱いもんはないのではないかい?とも思っていたりする。吹奏楽かぎらずだが、ぜひいい演奏をした!と思えるような手助けをしつつ、自分も楽しみたい!と思って、この夢をもっている。

 

教員免許をとることが大学進学の目標理由のひとつ。さらに、教員として必要な経験を積みたいのもひとつ。世界を広げたいのもひとつ。いろいろな理由があるが、とにかく大学進学したい。

 

浪人を選んだのは、落とした私大にして後悔するよりは一年やって好きなとこに行きたい!とゆー、まあ性格もあるだろうが、そう決めたから。

 

そんなかんじ。これがいまのワタシだ。

 

 

ついでにいろいろカフェをめぐるのも好きだ。お気に入りは二件あって、けっこうな頻度でかよう。ひとりで遠くに旅行するのも好きだ。浪人だが、だからこそ、ちょっとだけ自由時間を作りたい。そんなはなしも書くつもり。

 

いちばんのブログ開設の目的は、ノルマ記録だ。俺こんなにやった!とゆー自己満足と達成感を、あとで感じるためだ。日記として。

ただ、ほかにも、いま燃えている方や繋がりたい方!のブログはちらちら訪問させていただこうと思っている。そんなかんじ。

 

2018.1.18のワタシは、つまりはこんなんだ。